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仙台市は21日、東日本大震災の復興計画と素案となる復興ビジョンに市民の意見を反映させるため、奥山恵美子市長が直接対話する「復興座談会」を始めた。皮切りとなった宮城野区役所では、市が復興ビジョンの骨子に盛り込んだ沿岸部住民の集団移転構想などが取り上げられた。市民からは「集団移転は経済的負担が心配だ」など不安視する意見が出た。
津波や地震で甚大な被害が出た地区の町内会長、避難所運営委員、PTA役員ら18人が出席した。奥山市長は「全ての市民が手を携え、復興に向かって進む魂のこもった計画を策定したい」と述べた。
復興ビジョンの素案のうち、東部沿岸地域で仙台東部道路と幹線道路による「二重防潮堤」とし、住民を西側に集団移転させる案について議論が集中。ある町内会長は「住宅のローンが残っており、移転できない人がいる。経済的負担が生じないよう土地の無償提供が必要だ」と求めた。
農家が多い地区の町内会長は「50〜60代は先祖から受け継いだ土地を離れたがらない。農業ができるよう元の土地を再生してほしい」と語った。
出席者からは「復興計画策定などのスピード感が欠けている」「被害にあった学校の存廃をはっきりさせてほしい」といった注文もあった。
座談会は29日まで、若林区の2カ所と、青葉、太白、泉区の各1カ所で開催する。
◎宮古・重茂地区/漁船他県から調達、天然ワカメ漁再開
津波で被災した全国有数のワカメ産地・岩手県宮古市重茂地区で、地元漁協が21日、他県から調達した漁船を組合員が共同利用する方式で、天然ワカメ漁を再開した。東日本大震災後初の水揚げは約50トン。関係者から「復興の第一歩になる」と喜びの声が上がった。
午前4時半ごろから、68隻の漁船が重茂地区の4漁港を出港。漁師たちは約1キロ沖にある漁場で3時間、長いもりを使ってワカメを船に引き上げた。
重茂漁協は津波で、漁船814隻のうち800隻が流失。組合員582人のうち、死者・行方不明者も16人に上った。
漁再開に向け、漁師たちは手分けして青森、秋田両県の漁協から中古船約50隻を調達。船を組合所有とし、組合員2、3世帯が1隻で漁をする「共同方式」を採用した。
漁協の高坂菊太郎参事は「ことしのワカメは品質が高い。天候次第では例年の収穫量の200トンを上回るかもしれない」と期待している。
天然ワカメ漁は6月末まで続く。7月中旬からウニ漁が始まる予定。
◎大船渡・蛸ノ浦漁港/再来年秋の収穫へ、カキの養殖始まる
岩手県大船渡市の蛸ノ浦漁港で、東日本大震災以降、中断していたカキの養殖作業が始まった。再来年秋の収穫に向けて、漁師たちが稚貝を挟み込んだロープを養殖施設につるす作業などに追われている。
作業を進める下蛸ノ浦かき養殖組合によると、養殖用ロープ1200本に付ける種ガキは石巻市の業者から取り寄せた。21日は約10人の漁師たちが舟に乗り込み、ロープをつるすためのはえ縄式養殖施設を整える作業に当たった。
蛸ノ浦漁港では震災による津波で、養殖いかだやロープなどに大きな被害が出た。漁師たちは、散らばった養殖いかだの木材を一本一本集めてつなぎ合わせるなど、再開に向けて準備してきた。
組合員の新沼丈一さん(63)は「家族は漁業を続けることに反対しているが、何とかカキ養殖を復活させたい」と力を込めた。
宮城県原子力安全対策室と東北電力は21日観測した県内各地の放射線量を発表した。最大値は丸森町役場付近で、1時間0.25マイクロシーベルトだった。県によると、この値は10日間継続して浴びても屋内退避基準(1万マイクロシーベルト)の約165分の1という。
主な観測地点の結果は表の通り。
東日本大震災の大津波により約7割の建物が全壊した宮城県女川町で、災害に強いとされる鉄筋コンクリートのビルが基礎部分から根こそぎ倒れる被害が相次いだ。津波工学の専門家によると、リアス式海岸の湾奥に集中した津波で、押し波や引き波といった横方向の圧力だけではなく、縦方向の浮力が作用して倒壊につながった可能性があるという。
◎専門家が原因分析「構造基準見直し必要」
首藤伸夫東北大名誉教授(津波工学)によると、鉄筋コンクリートの建造物が津波で倒壊したのは、1946年、アリューシャン列島ウニマック島の灯台が高さ30メートルの津波で流された1例だけ。東日本大震災の被災地の中でも、女川町はとりわけ鉄筋コンクリートの建物が倒れる事例が集中しているという。
現地調査した越村俊一東北大災害制御研究センター准教授(津波工学)によると、2〜4階建て鉄筋コンクリートの5棟と、4階建てのビル1棟が倒れているのが確認された。大半が商業ビルや水産会社の冷凍工場など民間の建物だが、石巻署女川交番も倒れた。
倒壊した建物は、地中にあった分厚い基礎部分が露出。鉄筋コンクリート2階の女川交番は、長さ約1メートル、直径数十センチのくいが引き抜かれた状態で横倒しになった。
横長で海岸に面するように立っていた鉄筋コンクリート3階の女川共同ビルは、建物が真っ二つに破壊され、一方は上下逆さまに転倒し、もう一方は西に約150メートル離れた場所まで流された。解体されたこのビルを除くと、3棟が西寄り、2棟が北寄りの方向へ倒れていた。
東北大や東大、京都大、港湾空港技術研究所など30以上の機関の研究者で構成する東北地方太平洋沖地震津波合同調査グループによると、女川港では18.4メートルの津波を観測。越村准教授の調査では、遡上(そじょう)高は平均で約20メートルに達した。目撃証言によると、マリンパル女川や町役場などを除き、中心部の建物はほとんど屋上まで水没した。
JR女川駅近くにある町生涯教育センターに避難した町の女性職員(50)は「津波で建物は見えなくなり、ごう音を上げて引いていった。波は渦巻いていて大きな建物も元の場所になかった」と振り返る。
町商工会などによると、倒壊が確認された鉄筋コンクリート建造物は、確認できる分だけで古くは約50年前、新しくても約20年前に建てられたといい、埋め立てで造成された市街地に立っていた。
越村准教授は「津波で大きな浮力が働き、押し波や引き波で倒されたのではないか。地震の液状化によって基礎が支持力を失った可能性もある」と指摘。「鉄筋だから、新しいからという理由で安全だとは言い切れない。避難に利用するビルの構造基準の見直しが必要だ」と強調している。
(浅井哲朗)