国内旅行ならではの良い所

海外旅行に行く人も最近は増えているが、国内旅行には国内ならではの良さがあると思う。一つは、何といっても言語が通じるという事である。スムーズなコミュニケーションの為に、言語が果たす役割は大きいからだ。また、普段親しんでいるマナーが通用するので、恥ずかしい思いをせずに済むという利点もある。他には、国内で食事したりお土産を買ったりする事で、国内の経済活性の一助になるという利点もある。地元を愛する意味でも、国内旅行を楽しんでみるのは良いと思う。
仕事で単身赴任中の主人ですが、毎週末は夜行バスで自宅に帰ってきます。金曜日の仕事を終えるとその足でバスターミナルに行き、夜行バスに乗るのです。バスの中では仮眠をしてくるそうですが、朝自宅に帰ってくると午前中は布団にもぐって寝ています。そして日曜の午後には戻っていくのですが、こういう生活がもう1年も続いています。
 釜石市内の犠牲者の半数は鵜住居(うのすまい)町など大槌(おおつち)湾に面した地域だった。こうした状況のなか、同町の釜石東中学校と鵜住居小学校の両校は在校していた計約600人全員が無事に避難した。児童・生徒は刻々と変わる状況に機転を利かせ、自らの命を守った。今月上旬、同市の防災教育を8年前から指導している群馬大学の片田敏孝教授と現場を歩いた。(北村理)

 校舎3階に、突き刺さったままの軽自動車。津波が高さ10メートル以上にまで到達したことを生々しく物語っている。看護師 転職

 釜石東中と鵜住居小は隣接。両校から最初の避難場所となったグループホームまでは1キロ、2つ目の避難場所の介護福祉施設までは約1・5キロのゆるやかな坂で、大人の足でも歩くと20分かかる。そこから急勾配(こうばい)となり、500メートル先に最終避難地点の石材所がある。

 両校は片田教授ら研究グループの指導を受け、「迷わず行動に移れるように」と、実際に児童・生徒に避難経路を確認させ、計画を練ってきた。片田教授は「今回の避難経路は距離のわりには高さが稼げないが、両校の裏山は急斜面で集団避難に適さず、この経路が選ばれた」と説明する。

 3月11日午後2時46分、地震が発生したとき、釜石東中、鵜住居小とも下校直前のホームルームやクラブ活動を始めていた。釜石東中は、校長が公務で外出、村上洋子副校長は職員室にいた。「揺れの大きさで津波が来ると思い、放送で避難を指示しようとしたが、停電で使用できなかった」という。

 村上副校長が校庭をみると地割れがあり、声をかけようとしたが、すでにサッカー部員は「津波が来るぞ」と叫んで走り出していた。ほかの生徒も校庭に集まり始め、教員の指示で、先発の避難者に続いた。

 午後3時、隣の鵜住居小では児童らは最上階の3階など校舎内の避難行動にとどまっていた。同小も校長が不在だったが、中学生の避難をみた教員の指示で、小学生も避難を始めた。片田教授は「率先避難者となること。その行動が、避難が避難を呼ぶことにつながる」と話す。

 15分後、児童・生徒とも第一避難所のグループホームにたどり着き、全員無事を確認した。ハザードマップで浸水想定区域外だったため、村上副校長は「避難所までは津波は来ないと思っていた」という。保健師 求人ところが、グループホームの裏山が崩れているのをみて、児童・生徒が「余震が危ない」と騒ぎ出したため、万全を期し、さらに後方の介護福祉施設を目指すことになった。

 第1の避難場所では、泣き出す中学生もいたが、「あなた方がしっかりしないとだめ」としかった。気を取り直した中学生は小学生や途中で合流した保育園児の手を引き、再び駆け出した。

 第2の避難場所である介護福祉施設に移動し始めたとき、最後尾にいた村上副校長は、ふと背後に異様な雰囲気を感じた。ドーン、ドーンと耳にしたことのない爆音が響き、小中学校の方向から、住居が津波に巻き込まれ、追いかけてくる。「このまま足を止めては死ぬと思った」瞬間、村上副校長は力を振り絞って、「逃げなさい!」と叫んだ。

 児童・生徒らは猛然と走り出し、目指していた介護福祉施設からさらに石材店に向かった。津波は介護福祉施設の土台をなめ、ようやく勢いを止めた。

 グループホームは1階が水没したが、小中学生がさらに避難したのをみて、職員が入所していた高齢者数人を1階から3階に引き上げ全員助かったという。

 この両校の避難行動について、片田教授は「百点満点だ」と評価する。同教授は釜石の各学校での防災教育で、3つの原則(1)想定を信じるな(2)最善をつくせ(3)率先避難者たれ−を指導していた。

 この原則で、両校の避難行動をみてみると、この地区が浸水想定区域外という想定にかまわず、釜石東中の生徒らは地震後すぐ避難を開始((1))。鵜住居小は中学生が避難したのをみて学校から出た。両校は一つ目の避難所でがけ崩れをみて、さらに避難(以上(2))。避難は中学のサッカー部員に端を発し、途中で合流した保育園児や周囲の住民も含め、多くの人を避難行動にかりたてた((3))。

 片田教授は「過酷な状況のなか全員無事というと奇跡に思えるが、極めて周到な避難計画が当たり前の結果をもたらしたといえる。タクシードライバー今回の事例は防災教育・訓練の意義を再確認させた」としている。

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